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日本の原風景──。

山の上から見下ろすパノラマ。小さなころ読んだ、むかしばなしの絵本の景色のように、豊かで綺麗で風景は、なんだか私の心を震わせた。
「幻想郷か……」
そのつぶやきを聞くものは、だーれもいない。
神様がいうには、ここは〝幻想郷〟というところ。
広い空、どこまでも繋がって見える野山、芳しい花の香り、清浄な風……。
今の日本では失われた景色。神様や、妖怪や、いろんな幻想、様々なファンタジーが未だ残り、結界に囲われた隠れ里。
幻想の里は、訪れたばかりの青臭い秋に彩られていた。
高所と平地は赤と緑の混じりのグラデーションになり、青空からそそぐ日差しは少し晩夏の余韻を残している。世界が輝いてみえた。やわらかな風の吹く音さえ聞こえてきそう。
山はとても美しい。
美しすぎる。
でも美しいことと、私が好きかどうかは、違う。
「……帰りたいなあ」
──どこに?
「……わかんないけど」
美しい景色は、鏡のように私を映す。
うつつの夢ならどんなに良いのだろう。
──幻想郷なんて、夢。
「またここに居たんだ、早苗」
声に振り返ると、守矢神社の神様のひとり、洩矢諏訪子様がやさしく笑っていた。
「……洩矢様」
「駄目だよ、早苗。まだ病気がよくなっていないんだから、ひとりで出歩くのは危ない」
「ごめんなさい」
「いいんだよ。大変なのは早苗だからね」
風が吹いた。強い風。思わず目をつむり、ゴウと鳴るのを聞く。収まると、胸をなで下ろした。
「びっくりした。すごかったですね」
「……天狗だよ。早苗、やっぱりあまり外には出ない方がいいな」
「天狗?」
「うん。早苗は人気者だったから。あいつらも気にしてるんだろうけど……」
洩矢様は、私の手をぎゅっと握った。離れるな、というように。
そしてそのままぐいぐいと私を引っ張って、神社の方へと帰って行く。
「あいつらは、怖いから――」
洩矢様が何を言おうとしたのかわからなかった。
不安が胸を満たそうとするけれど、神社の姿が見えてきて、安心する。
私の知っている、守矢神社だ。周りの自然は随分と豊かになって見えるが、建物は変わっていない。
だけど……私の部屋には知らないものがたくさんある。
知らない服、知らない小物、知らないお守り、知らない写真。だけどどれも私に合わせたような代物で……何より、写真には私の知らない少女たちと私が……笑顔で写っている。
「病気、か」
また風が吹いて、私の目元を撫でていく。
――どうやら私は〝記憶喪失〟になったという話だった。

目を覚ましたのは、二週間前。
傍にいたのは神奈子様と諏訪子様。
布団に寝かせられていた私が目を覚ますと、心配そうに顔をのぞき込んでいた二人は、口々に声を上げて心配してくれた。
最初にそこで違和感があった。
――なんだか随分と二人が馴れ馴れしい感じだな。
この神様たち、こんなに私を気にするひとたちだったかなあ。そもそもこんなに存在感があったっけ。
神気とでも呼ぶべき気配が異様に濃い。私の知ってる神様は、今にも消え入りそうな、まるで教室の隅っこで友だちもいない生徒のような、希薄な存在感だったはずだけど。
「そんなに心配しなくて、大丈夫です。どうして私は寝ていたんですか?……」
問いかける私に、諏訪子様が言うには〝戸棚に置いてあった紺珠の薬を誤って飲んでしまった〟という。
「……かんじゅの薬?」
聞き覚えのない薬だけど、どうやら危険なものを間違って飲んでしまったのだ。
心配させてしまってごめんなさい、と二人に頭を下げる。
「ごめんね」洩矢様がばつ悪そうに苦笑した。「異変はとっくに解決したけど、何かの役に立つと思ってとっておいたんだよ」
その頭を、べし、と八坂様がはたく。
「まったく、早苗が人間じゃなかったら消滅しているところだぞ」
「大事なかったんだからいいじゃん」
「……よくわかりませんが、私は大丈夫です」
二人のやり取りに私が笑うと、二人も安心した様子だった。
「今日の夕飯は私たちが作るから、出来るまでゆっくり休んでおいで」
八坂様と洩矢様はそう言って、私の部屋を出て行った。
「……」
ひとり部屋に残されて、私は首をひねる。
これまたおかしな話。
八坂様と洩矢様が料理を作るって? そもそも二人はふつうに食事、食べれたんだっけ?
「……へんなの」
そう思った。
けれどびっくりすることに、私はその日自分の身に何が起こっているのか、気がつかなかった。
ようやっとわかったのは、翌日になって、違和感が徐々に明るみになったからだ。
私の部屋のなかには知らないものがたくさんあった。家の中は、なんだか妙に寒い。
私は学校から神社に帰ってきて、何をしていたんだっけ?……思い出せない。
八坂様や洩矢様はこんなに私と仲が良かったかな。
どこから取ってきたのかわからない、山菜や魚、デザートに立派な果実。
妙に体が軽いような、重いような、自分の体に違和感がある。目線が、高い……気がする。
なんだかよくわからないなあ。
もしかして、言われなかっただけで長い間眠っていたのかもと疑って、カレンダーを見た。
   『第百三十二季……』
「……八坂様、いまって何年何月何日の地球が何回まわった日でしたっけ?」
「なによ。急に」
と、返ってきた答えは全く知らない日付。私が混乱していると、心配そうに八坂様が尋ねてくる。
「どうしたの早苗。それに、急に……八坂様だなんて改まって呼んで」
「……?」
そんなことはない。私は子どもの頃から、やさかさま、とお呼びしていた。
――はっとそこで気がついた。
顔がかっと熱くなり、あわてて言う。
「や、八坂様。どうやら私は――パラレルワールドから来たみたいです……!」

​(以上 サンプル)

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