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休暇の日に雨が降ると憂鬱な気分になる。
しかしそれが嵐になると、途端に嬉しくなる。
窓の外でゴウゴウ吹き荒れる風雨を見ながら、私は鼻歌のひとつも歌い出しそうな気分だった。
この天気の日に働きに出るとなったら、それはそれは面倒でしょうがなかったが……今日の射命丸文は休暇である。
外で雨が降ろうが槍が降ろうが、同僚がてんてこ舞いを披露しようが、知ったことじゃない。私は部屋でのんびり過ごします。
今年の秋は十二分に働いたので、きっとその分、幸運のツケが回ってきたのだろう。
嵐の日の妖怪の山は東奔西走の忙しさだ。そんな日に堂々と休めるなんて、なんと運が良い。最近幻想郷によく訪れる外来人から聞いた〝天気予報〟を、取材がてら参考にした甲斐もあったというもの。
ピィッと薬缶の笛吹く音を聞き、窓際を離れてコンロの火を止めに向かう。用意しておいたカップにコーヒーを淹れて席に戻ると、香りを楽しんだ。
椅子に座り、先ほどまで眺めていた本を手に取って開く。
発行が叶わなかった雑誌――『文々春新報』の原稿である。
この休暇中に、使った資料を纏め直すつもりだった。発行こそ叶わなかったが内容は価値のあるものが多く、特に月の民については重大な手がかりが隠されている可能性がある。
雑誌の発売中止の埋め合わせで仕事が増えて、再調査も叶っていないが、どうせならその前に情報を纏め直したい。
これも全て『文々。新聞』記者、射命丸文としての真実の探求のためだ。
「さーて。まあ、ゆっくりやりますか」
そうして本腰を入れて作業を始めようとした、そのときだ。
ドン、ドン、扉を叩く音がする。
おそらく風のせいだ。今日は嵐だ。立て付けの悪い扉が鳴っているに違いない。
「文! 射命丸文ー!」
ううむ。私の名前を呼ばれた気がするが、きっと雨のせいだ。激しく家を打ち付ける雨が、おかしな風に聞こえたのだろう。
今日はせっかくの休暇なのである。さてと、資料を纏め直さなければ。
バタン! と扉が開き、ビュウと風の吹き込む音がして、さすがにあわてて玄関に向かって飛び出した。
後ろ手に扉を閉めて、ずぶ濡れになった烏天狗――姫海棠はたて、が立っていた。
はたては私の顔を見るなり、顔をしかめて口を開く。
「やっぱりいるじゃないの。もー。さっさと出て来なさいよね」
「勝手にひとの家に入るなり文句とは……。こんな日に何の用事?」
「取材! もちろん文も行くでしょう? 嵐の日はみんな忙しいだろうからさー。こんなときこそ、出し抜くチャンスよね。都合良く人里でなにかやってるみたいだしー」
「……私が今日非番なのは当然知っているんでしょうね?」
「えっ」
はたてが顔を青くする。
ぽたぽたと、その体を包む雨具から滴が垂れた。河童手製の撥水コートだ。それはいいが、家を汚さないで欲しい。
外の嵐はずいぶんと激しいようだ。
続けて、問う。
「逆に、はたては当番じゃないんですか? 今日は嵐なんだから」
「いや、それは大丈夫。どうせ私、頭数に入ってないし。居ても役に立たないし」
「なんで誇らしげなのよ……。まあ、はたての能力じゃしょうがないか」
ふふん、とはたては笑った。誇るな。
しかし取材って。あいかわらず強風で家鳴りがしているし、雨だって滝みたいに打ちつけている。こんな日にわざわざ取材する必要があるものだろうか? いや、ない。
フン、と半眼でねめつけて、私は尋ねた。
「で? 取材って、いったいどこに行くつもり?」
「そりゃあ人里じゃん? たしか風鎮祭は今日やってるはずでしょ」
「こんな天気じゃ、祭りも延期してるんじゃないですか?」
「そんなことないもん。ほら」
はたてが取り出したカメラの画面には人里の様子が映し出されており、祭儀を執り行うためであろう準備が進められているようだった。
おっ、と意表を突かれた。
風鎮祭は、嵐が多くなる夏の終わり頃に人間たちが行う。近づいた秋の収穫を前に、田畑が風雨によって害されないよう祈りを捧げる祭りだ。
そしてそれは、天狗たちへの信仰とも言える。風を操るのは天狗の仕事の範疇だからだ。
しかし風鎮祭の日に嵐が重なるとは、さぞ人間たちは難儀しているだろう。
まるで上司に怒られる前に仕事を片付けようと思った矢先に見つかって、難癖つけられるようなものだ。うえ。最悪。
「ねえ、行こうよー。独占取材のチャンスだって」

​(以上 サンプル)

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