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 ――私と神奈子の間に何があったかというと。

カエル、カエル、と呼ばれちゃいるが、別に私はカエルじゃない。ちょっとカエルが好きなだけの、ただの女の子さ。
天から降ってくる水を見上げている。
大の字になった私の視界に、雨は止むことなく、白い空から地に落ちる。薄暗い天気が、いやに眠気を誘うのだ。
耳元でざあざあ鳴る音にまどろんでいると、蝦蟇のやつが囁く。ああ、ゲロゲロ鳴くのは雨蛙か。
どうして、誰も彼も私のことを放っておかない。
〝泥のなかで寝るやつは、ばかものだと聞いた〟
「誰だい、そんなこと言うのは」
〝わたしのせんの兄弟を産んだ、カエルだ〟
「母親か。よく、言うことを聞くといい。私みたいなばかにはなるなよ」
〝聞かなかった、ひゃくは死んだ。運悪く、ひゃくが死んだ。しかし、産まれるまえに、にひゃくが死んでいた〟
雨蛙がゲロゲロ鳴いており、私は泥に寝転んだまま問いかける。
「私が死ぬと思ったのかい?」
ゲロゲロ、鳴いている。
は、は、は、と盛大に笑うと口のなかをぴしゃぴしゃ雨が打ち、雨蛙は額をぴしゃりと打たれると跳ね上がって逃げ出し、私はなおも笑う。
徐々に低く、蛙の鳴くように笑う。
ああ、死なぬ。死なぬぞ。
雨蛙に心配なんぞされちゃ、祟り神も赤口あけて笑うだろう。
幸いあいつは、あっちで寝ているようだ。この雨だからな。
ひとしきり胸の空気を吐き出すと、私はまた雨の降るなか、地面に寝転がって空を見上げている。
神の身であるこの体は、濡れないようにもできるが、温度は感じる。ただの気のせいかもしれない。
濡れたようになる体はつめたいが、寝転んだ泥はあたたかい。きっとそうだと知っている。
ああ、古い土のにおいだ。
ぬるい人肌のような。人間の吐精した体液のような。鼻に、喉に、ねとりとする、においのする、泥のうえに。
私は体をぐったりと預けて天を見上げる。
天が泣いている。
「ごめんなさい、神奈子」
ねとりとしたなかに、沈むように、沈むように。
まったく、私がこんなところで寝ているのには理由がある。
すこし話してみようか。


朝から雨のにおいを嗅いで、私はのっそり白い布団から抜け出す。また、今日も、雨かとつぶやくと、さあさあと小雨が葉を叩くやわらかな音が聞こえている。
外は白く、部屋の中は薄暗い。梅雨時のどこまでも延びて見える雨雲が一面に雨を降らせて、控えめな女みたいに今日もしつこく地面を叩いている。
足元を冷やす廊下を歩き、洗面所に向かう。ばしゃばしゃと顔を洗っていると朝餉の匂いがしてきて、お腹がグウ。
台所へ向かうと、ちょうど早苗が盆に飯を載せて居間へと入って来るところだ。
「おはよう。早苗」
「もうお昼ですよ……。おはようございます」
早苗は私と目を合わせない。
壁に掛けられた時計を見ると、なるほど、もう昼餉の時間になっている。梅雨の寒さに、布団の中で目が覚めなかったのだろう。
卓に着くと、白飯、白和え、味噌汁、と早苗が卓に並べる。
「こんだけかい?」
「私ひとりだと思ったので。あんまり、食欲ないんですよ」
「暇だからって食べ過ぎるからさ。外で遊んでおいでよ」
「この雨の中ですか?」
いただきます、と箸を持つ。
やはり私の方を見ないのは、神奈子に何か言われているのだろうか。
「……神奈子は?」
「朝からお出かけになってます。大天狗と会合があるそうで」
嘘だな。
すすった味噌汁は沸かしすぎたのか、熱い。
食事の音だけが静かに部屋の中に聞こえる。ふと外を見る。
あいつは今どこに居るのだろう。
思えば、神奈子が神社を留守にしているときに、どうしているのか知らない。外の世界に居た時はこんなことありえない。
お互いに守矢神社だけが帰るべき場所で、あるべき死に場所で。私と、神奈子と、早苗と、細い細い縁の紐で輪を作って、それを守って行くことだけが、生きている意味で。いつか、私が最初にその紐を切ると……。
けど、今は違う。幻想郷は、よっぽど自由だ。
「食べなくっても、いいんですよ」
早苗がぽつりと呟いた。
「いや、食べるよ」茶碗を持ち直す。「ちょっと、考えごとだ」
止まっていた箸を動かして、食事する。
「この白和え、うまいな」
「ふつうですよ」
そう? と訊けば、そうですよ、とうなずくだろう。別の質問にする。
「早苗は今日は、何か予定があるの?」
「えーと……」
返答に窮する早苗をからかう気にはならない。
梅雨の季節に、人里の連中だったら過ごし方を知っているかも知れないが、こんな山の上では何をすることもないだろう。
私だって同じ。
ぱん、と手のひらを打ち合わせる。
「ごちそうさま。ちょっと、出掛けるよ」

​(以上 サンプル)

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