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カタカタと鳴る音に目をやると、こげ茶色をした四角い板が目に飛び込んできた。
それは、わっ、と私に向かって叫んだように見えた。息をのみ、冷たい空気に鼻がつんとなり、きゅっと目をつむる。とくとくと心臓がはねていた。
引き戸が風で鳴っただけなのに。
つむったまぶたのなかで思い出す。私は眠っていたのだ。寝ぼけて、納戸の引き戸が見知らぬもののように見えた。
私は安心して冷たい床の上、幼児のようにちいさく体を縮こまらせる。まぶたの裏におりる眠気と、とくんとくん、まだ強めに拍動する心の音が、頭をやさしく揺すぶる。
秋神の私は、自分の時季が終わって、冬が過ぎ行くあいだはいつもこの調子。
――とても、眠い。
カタカタ、また納屋の戸が騒いだ。
きゅ、と身を縮める。毛布もかけずに寝転がるから体が冷えているけれど、何をする気力もなくて、ひとつ、呼吸をしてごまかす。ビュウ、と外で風が鳴く。カサカサいうのは凩だろうか。
冷たい隙間風が足首を撫で、私は顔をしかめた。
粗末な家だけれど、命が寝付くほどに寒い季節を越すことはできる。秋の神である私が住むにはそのくらいにはしっかりしつらえなければ、冬の気に負かされてしまうのだ。寒風にも、吹雪にだって――屋根雪の重さは別にして、耐えられるだろう。
でも凩は別だ。
秋の結界をすり抜けて、ひゅうと家に隙間風になって私の肌をひやす。
ああ、だから。納戸の引き戸がカタカタ、鳴っていたのだ。あそこにため込んだ落ち葉に朽ち葉が、冷たさに驚いて跳ねたのだろう。さっき、私が寝ぼけて目を覚ましたのと同じだ。
自然に唇がほころび、私はのそりと体を起こした。床に突いた手のひらが、びっくりするくらい白く、こわばっていた。目はすっかりと冴えた。
私――秋静葉、の住処は六畳ほどの一室に、襖で仕切られた三和土があるばかりの小さな小屋だった。玄関から入って正対する部屋の奥に、半畳程度のごく小さな廊下があり、その先に引き戸で区切られた納戸がある。
妖怪の山の麓に立つこの小さな小屋が、越冬するための私の社だ。
眠っていたのは長い時間ではなかったのだろう。寒さゆえ襖を開けて確かめる気にならないが、昼の白い光が部屋のなかを映していた。
隅に投げ出されていた座布団を引っ張ってきて、お尻に敷いて座る。それだけで暖かく思える。私が先まで体を預けていた床板は早くも、温度を冷たく下げている。
眠るのなら布団を敷いてもよかった。そうすれば、凩に起こされることもなかったかもしれない。部屋の端に畳んで寄せてあるそれに目をやったけれど、もう横になる気分でもなかった。
お茶でも淹れようか。ふと思い、立ち上がる。
穣子が先日に茶葉を持ってきてくれていたはずだ。襖を開けて三和土に降りると、いっそう足元が冷えた。遠慮がちに開いていた玄関戸を、さらに半分閉めると空気はやわらいだが、薄暗く影が落ちた。そのせいで、危うく茶櫃をひっくり返しそうになった。
「姉さんたら、冬のあいだは放っておくと霜だらけになっているからね」
そんなバカな、と言われたときは笑ったけれど、火を熾そうとする手がかじかんでいるのをみると、妹に感謝する気になる。
――やさしい私の妹! 豊穣を司るお前は、秋が過ぎても人々からお返しをもらえるけれど、盛りを枯らすばかりの私はそのおこぼれに預かるばかり! 凍えて痩せた手には、貴女のくれた暖かいお茶がどんなにかしみるに違いない!
かまどに言葉と松ぼっくりを放り込み、火だねを点ければ、ほうぼうとよく燃える。
水を汲み入れた冷たい薬缶を吊して、揺れる火を見ながら沸くのを待った。
穣子が居たら、芋でも焼こうかと言い出すところだろう。
私と妹の穣子とは、ともに秋気を司る姉妹神だが、秋が終わり冬が訪れると別々の場所で過ごす。
それぞれ、豊穣の神である秋穣子には秋穣子の、終焉の神である秋静葉には秋静葉の、冬の間に必要な役目を持っているためだ。そして春の祈年祭の時季が来ると、互いに冬のあいだに拵えた仕事を引き連れて祭りに顔を出し、その年の秋がまたやって来るまで、いっしょに戯れて過ごす。
ほかの神様たちのことは知らないが、私たち姉妹はそれでうまいこと幻想郷で暮らしていけている。
ちょうど湯が沸いて、かまどの火を調整しているときだった。
玄関戸を、外からトントンと叩く音がする。顔を上げたところで、光の漏れ差す隙間から「誰かいるかい」と声が入って来た。
「どちらさま?」
私は訊ねた。
「ちょっと聞きたいんだが、ここは秋の神様の家だろうか?」
「そうだけど」
子どものような、女の子の声だった。
「あーよかった。聞きたいことがあって、山を探し回ってたんだ」
と、その言葉のあとに「ちょっと、待ちなさい」と別の声が戸越しに聞こえた。
女の子の声がちょっと離れて、向こうで何やら言い合っているのが聞こえ、私は耳をそばだてる。

​(以上 サンプル)

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