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招待状を手渡されたのは、そろそろ雨が雪の結晶となって降りそうな、冬の始まりの時期だった。
私はいつものように山の哨戒任務に当たっていた。まだらな曇り空が重く、妖怪の山に覆い被さっていた。
暇に飽かせて山のあちこちを見張っていたが、いっこうに動くものの気配がない。色あせた木々や地面が、雪の布団を待って凍えているばかりだ。
それで山の向こうにまで目をやると、のそりと歩く猪を見かけた。大きく体を震わせ──くしゃみだ。
鼻がむずがり、私もつられて、くしゃみする。
──クシュンッ。
静かな山に、それはおおきく聞こえて、私は少しばかり恥じた。
瞬きをひとつ。すっと目を開く。千里眼の能力での見張りをやめると、担当の哨戒区域を見渡す。小ぢんまりした岩場だ。
ふっ、と軽く息をつく。
風は無い。
日差しのない日中は、めっきり冷え込んで鼻がぢんと冷えた。私が、鼻をこすっているときのことだった。
不意に突風が吹き、ひゅうと前髪が上がったと思うと、目の前に少女がやって来たのだ。
紫色の頭襟、市松模様のスカート。シャツにネクタイを締めてマフラーを巻いたその姿は、よく知っている烏天狗の少女――姫海棠はたて、であった。
会釈すると、代わりに無邪気な笑顔をくれる。高飛車なものが多い烏天狗連中には、稀な少女だ。
風とともに現れたはたては言う。
「こんにちはー、椛ちゃん」
「どうも。はたてさん」
「ねえねえ、ちょっとお願いがあるんだけどー」
ぱん、と手を合わせてはたては私に言った。
烏天狗のお願いはいつだって突然だ。
記者を自称する彼らは、嵐のように突然やって来て、あっという間にどこかへ行ってしまう。引っ掻き回され、文句を言っても無駄なのは、彼らがいつだって山、つまり天狗社会のことを考えているからだった。
私たち哨戒を仕事にする白狼天狗だって考えているのは同じだが、見据えた目的地が同じでも、道程が違えば足を引っ張り合う形になるのも仕方が無い。
私たちに出来ることといえば、バラバラの足並みのなか、足を引っかけて転ばせないように、用件だけさっさと済ませて距離をとること。
主に突っ込んで来るのは烏天狗のほうだが。
「なんですか?」
私が尋ねると、それだけで全てが解決したとばかりにはたては笑った。
「ありがとー! はい。これ、よろしくね」
そう言って手渡されたのは、メモ書きの紙片だった。
目を落としてる間に、はたての声が聞こえる。
「じゃあ集合は酉の刻に新聞大会の掲示板の前に来て……」と、最後まで言い切る間もなく駆け出している。「椛ちゃん。またあとで! じゃあねー」
びゅん、と次の瞬間には曇り空を蹴散らすように飛び去って行った。
それを見送る。
千里眼を使って、見えなくなろうともその背を追いかけると、山の外に向かったようだ。行き先は、人里だろうか。
「いったい、なんだったんだ? お願いって言っていたけど……」
はたては烏天狗にしては気の良い性質だが、やっぱり烏天狗らしく嵐のようだ。
遠目をやめて、私は手元を見る。まず情報の確認だ。烏天狗は諜報部、白狼天狗は警備部。
手渡された紙片にはこう書かれていた。
――しし肉 春菊 キノコ? 野菜 適当に  酒 飲む分だけ
手書きの、どうやら買い物の覚え書きだ。硬筆で書かれた文字は、烏天狗が書いたのだろうが、妙に丸っこい文字がかわいらしくも見える。
「フム。酉の刻に掲示板前だったか」
いまはもう昼を過ぎており、夕刻までに指示の食料を準備するにはいささか時間が足りない。袂に覚え書きを仕舞い込むと、早速と私は移動を開始した。
伊達に千里眼を持っているわけではない。見回りをしながらでも、役目を果たすくらいは余裕である。途中で、少々自宅に寄ったり、珍味を採ったりするくらいは大丈夫だ。
ふふ、と思わず笑みがこぼれる。
今晩の飯はきっと、鍋でも突きながら、うまい酒が飲めるに違いない。
最近の冷え込みに、あたたかい鍋が恋しくなっていたところなのだ。


毎年秋になると新聞大会が開催される。最も売り上げ部数を誇り、かつ天狗社会に貢献した新聞を決める、番付が発表されるのだ。基本的に各新聞は各々の天狗が個人で発行しているものだから、それがそのまま地位を決める基準のひとつにもなる。
ほう、と吐く息が白く濁る。
――今年の優勝は『鞍馬会報』か。
貼り出された新聞大会の番付。
日も沈んだ薄暗がりのなか、私はそれを見ていた。
掲示された当初は黒山の賑わいだったろうが、大会が終わり、冬を迎えたいまは閑散としていた。明かりすら私の持っている提灯ひとつである。
私は上から順番に、今年の番付を見ていった。
上位陣はいつも通り、大天狗様たちの名前が連なっている。もしくはその縁類の若手。
顔ぶれの変わらない番付は面白みがない一方、妙な安心感もある。
「あーあ……」
番付のずうっと下の方の、端の隅っこの、ランキング外の箇条書き。
薄々予想はしていたが、よく知った新聞の名前を見つけた。これが今日私が収集された理由だろう。
はたして、こんな隅まで誰が見るのか、と心配になるほど下位に二つの名前はあった。
   『文々。新聞』そして『花果子念報』。私がよく知っている烏天狗の少女、二人の発行している新聞。
がさりと手に提げた袋が鳴る。
――酒も食料も多めに持ってきた。彼女らが満足すればいいのだけど。
「あーあ……」
どうして彼女たちは新聞大会に躍起になるのか。上位はお偉いさん達が譲らないだろうと、私にだって予想がつくのに。
それは白狼天狗と烏天狗という、種族の違いか。あるいは私の仕事は哨戒で、彼女らの仕事は記者だからか。
「ん、そろそろ待ち合わせの時間か」
新聞の番付には興味ない。しかし彼女たちの〝酔興〟を二つの新聞から感じているのは、おそらく私だけではない。
番付の順位に関わらず、彼女らを知るものは多いのだから。
「ご苦労さま」
待ち合わせ場所にやって来たのは『文々。新聞』の記者、射命丸文だった。

 

​(以上 サンプル)

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